ソラマメブログ

2007年11月10日

SLの本質とは。(建築的に?)

結局はコミュニケーションだよね、という話は以前に少し書きました。
それとは違う意味で、思い付いたことの覚書をダラダラと書き散らかしてみませう。
ソラマメに不似合いな感じで失礼を。(苦笑)


SLの基本要素は「テクスチャー・スプリクト・プリム(オブジェクト)・アニメ・動画と音楽」といったところでしょうか。
動画や音楽は絶対に不可欠というほどでもないはずで、まず除外。
アニメはアバターの制御に不可欠ですが、SLを構成している仮想空間としての空間要素からは外れるでしょう。
つまり、主観的なSLの構成にはアバターは自己投影のために必要ですが、内部空間の客観的構成要素としては外してもいいと思う。
で、残るのはテクスチャー・スプリクト・プリムの三要素。
この三つが、「SL」ではないかと思います。

私自身ができることの範囲では、スカルプトを除くプリム操作が人並みだろうと思っています。
知り合いの方に言わせるとスプリクトもすぐに限界が見えるのだそうですが、インワールドでの表現において、プリム操作に限界を感じるのは三要素の中で最も早いはずです。
あとは根気と時間をどれだけ費やすかが反映されるわけですが、まぁそれはおいといて。
プリム表現に限界を感じるという感覚は、ネット上に再現される仮想空間としては至極当たり前のことでしょう。
物を見せかけているだけで、「物そのもの」の存在はそこにないからです。

しかし、ふと思ったのは。
テクスチャーやスプリクトが持つ表現の幅というのは、それがネットにある仮想空間としての特性に合致しているんだろうけど、その二つの要素だけでは従来の二次元的表現における意味(価値)と大差はないな・・・ということ。
画像を扱ってプログラム言語で機能させるというのは、概略としてはウェブデザインなんかと一緒じゃないのかと思います。
そこにプリムという「物に見せかける要素」を加えることで、初めてSLはSLとしての三次元表現として成立する。
そう考えてみれば、プリムというのは実は”物”ではなく、『テクスチャーやスプリクトを表現するための土台である』という捉え方をしてもいいんじゃないかなと、そこを思い付いたわけです。(服とかの場合は、プリムよりもアバターを三次元表現の土台としている)

まぁ大げさに書いていてもこれは当然の話で、テクスチャーは貼り付ける元がなければ意味がないし、スプリクトもオブジェクトに組み込む(HUDは可能ですが)まで機能しない。
プリムはプリムだけでもそこに存在しますが、ただプリムが転がっているだけではゴミなわけですよね。(笑)
テクスチャー+プリム、スプリクト+プリムという組み合わせがあるから、SLは仮想空間として成立しているんだろうなということです。


「デジタルデザインコンペ2007」
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/20071105/513055/
『二次的な現実(仮想世界)が大きな比重を占めるようになった現代の「生活(生活像・生活様式など)」を収集・記録、展示、研究していくための施設(まち)を、仮想世界の中で運用するもの(=セカンドライフ※の中に制作し、運用するもの)として提案してください。』

これ、普通にデザインコンペとしてカッコいい建物を求めているんじゃなくて、コンセプトに比重が置かれてそうですよね。
部門別の説明で「ライフ・メディア」(造語か新語か??)というキーワードが使われているように、今日的なメディアとの関わり方を生活の一環としてインワールドを介して実現させる提案を求めていて、それを空間表現として建築に落とし込めという要求じゃないかな。
西沢立衛(にしざわ りゅうえ)さんなんて伊達じゃあないので、カッコいいとか雰囲気いいとかだけでは騙されませんよ。
日経アーキテクチュア(アーキテクチャーてよく言うけどね)だって業界紙の中では定評があるんだし。
従来的なビルディングタイプをセンス良く見せたら50万や10万取れるという話じゃない・・・はず。
だいたい、結果発表の項目で『実施の可能性を検討』なんて書いてあるんだもの。
裏を返せば「今のSLで無理なものでも最優秀になるかもねぇ~」と言いたいわけでしょ。(笑)
むろん、SLをやっていない人からの提案も受け付ける含みも、そこにはあるんでしょうけどね。


つまり、SLの建築とは「物のある建物」じゃないんだね。
空間構成の意味的表現なんかは仮想空間でもプリムの持つ「物として見せる」力が機能する(空間表現自体はソフトだから)んだけど、コンセプトを表現するためにテクスチャーやスプリクトを機能させるその土台に組み合わされているのがプリムで、結果としてその総体がビルディングタイプに似せて存在する。
意味のある建物というか、「意味しかない建物」というほうがより近いニュアンスなのかも。

というか、SLでもそんなにクオリティを感じる表現はあんまり見かけないから、あくまでもSLにおける建築的アプローチの一つの可能性という話なんですけどね。
建築コンペには3DCGをうまく使ったドローイング(表現)があるんだけど、SLだとそれがそのまま再現できる可能性があるという。
んで、それが上記のコンペになるんでしょうな。
SLを始める前、建築の持つ空間表現の要素は仮想空間における表現と”ソフトコンテンツゆえの親和性”があるんじゃないかと考えていた、そこが実感できたなぁという。



とまぁ、読解のまねごとをしてみても、自分自身の表現力の無さには愕然とするものがあるからねぇ。(苦笑)
あぁ~あ。

 SLの本質とは。(建築的に?)
(落ち込んだ気分でも宣伝は欠かしません/笑)


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この記事へのコメント
SLの全ては視覚操作でしょ。それしか考えられません。

オブジェクトにしてもテクスチャにしても興味がないと見てもくれないですし、逆につまらないものでも派手に演出していれば立ち止まってくれますし、工夫次第で人を集めることは容易ですね。
Posted by とあるレスラー at 2007年11月26日 01:43
☆とあるレスラーさんへ

>SLの全ては視覚操作でしょ。

たしかにそうですよね。
でも一方で、視覚だけの話であれば、二次元的な今までのWebと一緒ではないかとも思えるわけです。
だからこそ、プリムとアバターがSLでは土台(ベース)となっている部分ではないか?と考えたのが上の本文ですね。

RLの建築表現においても、視覚は重要な部分になると思います。
しかし、RLにおいて三次元であることは自明ですから、「三次元であるための土台」をあえて必要としない。
SLのプリムも所詮は見かけだけの擬似的な仮想三次元なのですが、それこそ視覚として、三次元に見せるためには欠かせない部分ではないかということです。
そして、それがあるから、視覚的だけでしかないSLにおいて建築コンペの可能性があるということなのかな・・・とも。
本文に少し触れた「建築に落とし込む」というのは、その作業を念頭に置きつつ書きました。

建築コンペのドローイングなんてのも、結局は視覚による表現手段で三次元を伝えるためのものですしね。

>工夫次第で人を集めることは容易

なるほど。
なかなか私はそこまで上手くいかないので、まだまだです。(苦笑)
Posted by ZusiZusi at 2007年11月26日 12:56
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