2008年11月06日
楽しみ方を楽しむこと。
子供の遊び方に変化が出てきたというのは、一昔前からの定番の切り口でしょうか。
原っぱの減少やお受験などに代表される幼年教育とそのビジネスの影響も言われるわけですが、アニメやゲームなどの市場が確立されたことも大きいと思います。
要するに、子供同士が集まって年齢に応じた知恵や体力などによる遊び方を自分たちで見つけたりしなくなっている。
少人数で遊ぶなら少人数で遊べるおもちゃを身の回りの材料で作ったり、大勢で遊ぶためのルールを少人数用に変えたり。
逆に大人数で遊ぶ場合には、公平なルールをちゃんと確認したり、時にはハンディキャップに応じた修正をしたり。
与えられた遊び方に縛られるだけでない、自分たちで考えて遊ぶということが下手になってきているのではないかということです。
セカンドライフにキラーコンテンツが無い、ということを「だからダメだ」とする考え方があります。
しかし、それをどんな楽しみ方も出来る可能性と見れば、キラーコンテンツにだけ頼るのではない強みもまたあるでしょう。
日本でSLが大々的に取り上げられたのは過去の話。
儲かるという宣伝文句や有名になるという上昇志向を満たすためのステータスを求める姿勢が多く見られた一年前でしたが、SLは終わった終わったと否定的に言う意見の多くは、「そういう楽しみ方には限界がある」という現状認識に過ぎないような気がします。
仮想世界の中で会社をつくって成功することや、デザイナーとして世界的な名声や評価を得ること。
それは確かにSLの中にある一つの成功であり、目標とするべき希な成功例として魅力的であると思います。
しかし、本当にそれだけがSLなんだろうか・・・と考えるのが、今とこれからに大切なことではないでしょうか。
ソラマメを情報発信の源泉として、フリービーを探し求めて楽しむという楽しみ方もあります。
最近であれば、同じフリーアイテムを手に入れるのでも、トレハン(トレジャーハンティング)と呼ばれる宝探し的なアイテムの「手に入れ方を楽しむこと」も定着したでしょう。
フリーアイテムがSLの中から消えることはないはずですが、それを手に入れ楽しむという楽しみ方にはこれからも変化があるのかもしれません。
そして実は、そういう変化を楽しむことこそが、SLを楽しむということの根本にあるような気がするわけです。
成功体験に依存したが故の失敗、いわゆる思考の硬直化というやつがあります。
SLがキラーコンテンツを持つ絶対的な基準を楽しむ世界であったとすれば、その基準を私たち住人が変更したり創造したりすることは難しいはず。
ですが、SLの中での成功や楽しみ方は、すでに出現した以上のものが生み出せないと決まったわけではありません。
じゃんけんのようなシンプルなモノでも、おいもん勝ち(多いもの勝ち)と呼ばれる大人数で同時に同じものを出した人が勝つ遊び方だってある。
鬼ごっこや缶蹴りならば、場所や状況に応じた遊び方が常に変わる。
与えられた遊び方をルールに従ってやる、どこでも誰もが同じ遊び方をしなければ成立しない・・・というわけではないのが、セカンドライフだと私は思います。
最近では、アカウントを作っておいたけどすぐに止めた人がもう一度インしてみたり、一度はある程度の成果を得た人がRLの事情や人間関係などを原因として去った後にまた戻ってきたり、そういう話を聞くことが珍しくありません。
一つのレールに乗って成功していくこと、レベル上げをしてゲームの頂点に立つことだけがSLの楽しみ方であるとすれば、そうした人たちは明らかに不利なはずです。
しかし、今のSLの中で不足していると感じる「楽しみ方そのものを生みだしたり変えていこう」とする動きを担う人たちとしてみれば、その可能性に期待できるように思います。
つまり、鬼ごっこが上手い人だけが勝ちという世界ではないので、縄跳びを楽しむなら全く違う楽しみ方ができる。
しかも一度はSLの中である程度の経験をした人ならば、その経験を活かすことだってできるわけです。
一年前に比べて、SLの中にあるアイテムは飛躍的に増え、何でもあるように思える状況があります。
ところが、そのアイテムをどのように使って楽しむのかという、遊び方までがすべて出尽くしたようには思えません。
見たことも聞いたこともない遊び方を生み出す過程で、全く新たなアイテムが登場してくる可能性もあるのはあるはず。
流行ったコーギーなども、SLの中にあるペットの楽しみ方という点で新しい提案があったからこそ「うけた」のではないでしょうか。
犬や猫の形はあったけど、コーギーの楽しみ方はコーギーが出るまで皆が知らなかった。(知ってしまうと、同じ物は作れなくなりますが)
あるいはそうした大きく目に見えるものではなく、小さなバーやカフェなどをマイペースに楽しむ自分の楽しみ方をバランスよく調整する、そんな「自分らしい楽しみ方を作る」ことも人それぞれの中にある可能性だと思います。
人によっては閉塞感を持ってしまうSLの現状かもしれませんが、考え方を少し考えてみれば、社会の閉塞感を打ち破ることを自分のアイデアやアイテムによって挑戦できるとすれば、これはなかなか壮大な楽しみ方と言えるでしょう。
たとえ成功しなくとも、打ち破ろうとする過程を楽しむことができればそれも一つの楽しみ方、なわけですし。
今ある状況、与えられた環境がダメだから自分の楽しみ方が見つからないことも、もちろん場合によってはあると思います。
SLを楽しむこと以外をやってはならない・・・わけがないです。(笑)
しかししかし、自分たちで考えて楽しみ方を見つけていくことのできる場所としてみれば、まったくその可能性のない場所だとは思えません。
SLが大人のするゲームだというならば、子供に負けない「遊び方を考える力」を私たちが示す必要があるでしょう。
とある居酒屋に出入りし、とあるお店の立ち上げに関わって、またとある建物に自分なりの考えを出してみた最近の自分の経験を振り返りつつ、そう思います。
どんなに小さなことでも、新しいものを生み出せる可能性があることの楽しみというのは魅力的です。
しかも、それが世界(SL)を変えることにつながる可能性も、ほんのわずかにならば常にある。
あなたも、もっともっと楽しみ方を楽しんでみませんか?
原っぱの減少やお受験などに代表される幼年教育とそのビジネスの影響も言われるわけですが、アニメやゲームなどの市場が確立されたことも大きいと思います。
要するに、子供同士が集まって年齢に応じた知恵や体力などによる遊び方を自分たちで見つけたりしなくなっている。
少人数で遊ぶなら少人数で遊べるおもちゃを身の回りの材料で作ったり、大勢で遊ぶためのルールを少人数用に変えたり。
逆に大人数で遊ぶ場合には、公平なルールをちゃんと確認したり、時にはハンディキャップに応じた修正をしたり。
与えられた遊び方に縛られるだけでない、自分たちで考えて遊ぶということが下手になってきているのではないかということです。
セカンドライフにキラーコンテンツが無い、ということを「だからダメだ」とする考え方があります。
しかし、それをどんな楽しみ方も出来る可能性と見れば、キラーコンテンツにだけ頼るのではない強みもまたあるでしょう。
日本でSLが大々的に取り上げられたのは過去の話。
儲かるという宣伝文句や有名になるという上昇志向を満たすためのステータスを求める姿勢が多く見られた一年前でしたが、SLは終わった終わったと否定的に言う意見の多くは、「そういう楽しみ方には限界がある」という現状認識に過ぎないような気がします。
仮想世界の中で会社をつくって成功することや、デザイナーとして世界的な名声や評価を得ること。
それは確かにSLの中にある一つの成功であり、目標とするべき希な成功例として魅力的であると思います。
しかし、本当にそれだけがSLなんだろうか・・・と考えるのが、今とこれからに大切なことではないでしょうか。
ソラマメを情報発信の源泉として、フリービーを探し求めて楽しむという楽しみ方もあります。
最近であれば、同じフリーアイテムを手に入れるのでも、トレハン(トレジャーハンティング)と呼ばれる宝探し的なアイテムの「手に入れ方を楽しむこと」も定着したでしょう。
フリーアイテムがSLの中から消えることはないはずですが、それを手に入れ楽しむという楽しみ方にはこれからも変化があるのかもしれません。
そして実は、そういう変化を楽しむことこそが、SLを楽しむということの根本にあるような気がするわけです。
成功体験に依存したが故の失敗、いわゆる思考の硬直化というやつがあります。
SLがキラーコンテンツを持つ絶対的な基準を楽しむ世界であったとすれば、その基準を私たち住人が変更したり創造したりすることは難しいはず。
ですが、SLの中での成功や楽しみ方は、すでに出現した以上のものが生み出せないと決まったわけではありません。
じゃんけんのようなシンプルなモノでも、おいもん勝ち(多いもの勝ち)と呼ばれる大人数で同時に同じものを出した人が勝つ遊び方だってある。
鬼ごっこや缶蹴りならば、場所や状況に応じた遊び方が常に変わる。
与えられた遊び方をルールに従ってやる、どこでも誰もが同じ遊び方をしなければ成立しない・・・というわけではないのが、セカンドライフだと私は思います。
最近では、アカウントを作っておいたけどすぐに止めた人がもう一度インしてみたり、一度はある程度の成果を得た人がRLの事情や人間関係などを原因として去った後にまた戻ってきたり、そういう話を聞くことが珍しくありません。
一つのレールに乗って成功していくこと、レベル上げをしてゲームの頂点に立つことだけがSLの楽しみ方であるとすれば、そうした人たちは明らかに不利なはずです。
しかし、今のSLの中で不足していると感じる「楽しみ方そのものを生みだしたり変えていこう」とする動きを担う人たちとしてみれば、その可能性に期待できるように思います。
つまり、鬼ごっこが上手い人だけが勝ちという世界ではないので、縄跳びを楽しむなら全く違う楽しみ方ができる。
しかも一度はSLの中である程度の経験をした人ならば、その経験を活かすことだってできるわけです。
一年前に比べて、SLの中にあるアイテムは飛躍的に増え、何でもあるように思える状況があります。
ところが、そのアイテムをどのように使って楽しむのかという、遊び方までがすべて出尽くしたようには思えません。
見たことも聞いたこともない遊び方を生み出す過程で、全く新たなアイテムが登場してくる可能性もあるのはあるはず。
流行ったコーギーなども、SLの中にあるペットの楽しみ方という点で新しい提案があったからこそ「うけた」のではないでしょうか。
犬や猫の形はあったけど、コーギーの楽しみ方はコーギーが出るまで皆が知らなかった。(知ってしまうと、同じ物は作れなくなりますが)
あるいはそうした大きく目に見えるものではなく、小さなバーやカフェなどをマイペースに楽しむ自分の楽しみ方をバランスよく調整する、そんな「自分らしい楽しみ方を作る」ことも人それぞれの中にある可能性だと思います。
人によっては閉塞感を持ってしまうSLの現状かもしれませんが、考え方を少し考えてみれば、社会の閉塞感を打ち破ることを自分のアイデアやアイテムによって挑戦できるとすれば、これはなかなか壮大な楽しみ方と言えるでしょう。
たとえ成功しなくとも、打ち破ろうとする過程を楽しむことができればそれも一つの楽しみ方、なわけですし。
今ある状況、与えられた環境がダメだから自分の楽しみ方が見つからないことも、もちろん場合によってはあると思います。
SLを楽しむこと以外をやってはならない・・・わけがないです。(笑)
しかししかし、自分たちで考えて楽しみ方を見つけていくことのできる場所としてみれば、まったくその可能性のない場所だとは思えません。
SLが大人のするゲームだというならば、子供に負けない「遊び方を考える力」を私たちが示す必要があるでしょう。
とある居酒屋に出入りし、とあるお店の立ち上げに関わって、またとある建物に自分なりの考えを出してみた最近の自分の経験を振り返りつつ、そう思います。
どんなに小さなことでも、新しいものを生み出せる可能性があることの楽しみというのは魅力的です。
しかも、それが世界(SL)を変えることにつながる可能性も、ほんのわずかにならば常にある。
あなたも、もっともっと楽しみ方を楽しんでみませんか?
Posted by Zusi at 17:28│Comments(0)
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