ソラマメブログ

2009年03月31日

町並みのすすめ。

シャッター街の町おこしにセカンドライフ、というのはどうでしょうか?

インワールドでさえ廃墟化が言われることを思えば、一見無謀極まりないアイデアでしょう。
しかし、目的や意図の曖昧な町並みや建造物群が廃墟となることと、現在の空洞化を見てもらうことによる変化の可能性は別の話のはず。
SLの建物は変化に柔軟性があります。
プリムなどの制約はありますが、その工事にかかる手間暇はRLのそれと比較にはなりません。
完成した町並みが再現されることだけがSLにおける町並みの正しいあり方ではなく、むしろ「変化することを前提とした」RLからの導入はあってもいいでしょう。

SLの活用方法に会議チャットなどが挙げられますが、場や情報を共有することにおいて三次元的な意味合いをもっと活用する内容はあるはずです。
そうした、平面的ではなく立体的な場所を共通の認識として共有することの一つに、「町並み」というものがあってもいいのではないかと考えます。
関係者が参加しコミュニケーションをとりながら新しい発展や可能性を模索するという町おこしやリニューアルにとって、その会議(集会)的な意味合いも含めて考えれば、それほど非現実的なものだとは思えません。
参加者にSLを使えるパソコンの保有が必要となる点がハードルとして存在することは確かですが、絶望的な障害とまでは言えないでしょう。

空洞化した商店街や地方で観光資源として整備される町並み、あるいは三セクのような物が抱える箱モノの遺産。
RLにおいて持て余している現状があり、それについて変化の必要性があり、かつ内部での議論と外部への周知が活性化という点で求められるような場合。
SLといいう場所を実物展示しながらみんなで提案し考えるプラットフォームとして活用する方法は、ありそうに思えます。
ひとつの建物における改装案を数通りシュミレートするような有り方も含めて、閉鎖的になりがちなコンペティション(コンペ)の公開などがSLでおこなわれるとすれば面白いでしょう。
視覚的にコンセプトを提案することが可能な仮想三次元という特性をどう活かすのか。
使用前・使用後といったふうに、現状を示してこれからの姿を提案されてあれば面白いんじゃないか?ということですね。


私は、SLの中にある建物はSLの中だけでしか意味を持たない、そういう発想からの転換が必要ではないかと思っています。
同時に、RLの建物をコピーすることがSLにおける建物の質を上げるとも思いません。
つまり、建物の外形的な意味とコンセプトや表現意図を区別したうえで、後者を視覚的に実体化させる建物がもっともっと必要ではないかということです。

人が住めば住宅になり、物を売ればお店になる。
そういった部分での機能と外形という関係は、しかしSLの中でどれほど整理し考察されているでしょうか。
なぜ住宅でありなぜ人が住むのか、意味と形の関係にSL独自の要素が解き明かされることもあまりなく、比較的RLからの「形だけの導入」が多いのではないかと思います。
もっと平たく言うと、住宅らしい建物をセンス良く作ることがSLの中の住宅建築である、というような暗黙の感覚を個人的には感じ取ってしまうわけです。(住宅を一例とすれば)
それはある意味、建築ではなく『アイテムとしての建物』なのかもしれませんし、需要と供給の関係の中では正しい流れでもあるのかもしれませんが・・・。

町並みと言っても、すでに昭和(的)の町並みなどがつくられている場所はありますし、この度SIM化した”またたび町”には私も縁があって少しだけ関わらせてもらっています。
インワールドの中でそうした町並みを作り楽しみ参加することを否定するものではありませんが、そうした仮想世界の中での営みの一部は、確実にRLの町作りにおける一端に通じていることにも注目したい。
SLの中で町並みの核を作ろうとすることは、RLにおける町並みの核を作ろうとすることのブレストーミングというか、練習にはとても良質なものとなり得るでしょう。
外形的な「建物の形をクリエーターが作る」という部分ではなく、参加し提案し進めていくというプロセス全体が重要であり、しかもそれが結果的には”見える”のがSLです。
見えるものとしての町並みを作らなければSLの中の作業としては無意味ですから、当然と言えば当然ですね。

実現性に絞って言えば、個人住宅の改装案やワンルームマンションの改装案などの公開コンペなどのほうが敷居は低いと思います。(比較の問題であり、現在のSLに期待されている社会的認識から言えばそれでさえ簡単ではありませんけども)
しかし、お仕着せで用意されたイベントの限界は、すでにインワールドでいくつも見てきたのではないでしょうか。
並べられた物を見てどれがいいのかを投票するだけでは、短期的かつ限定的な効果しかありません。
SL自体の使い方としては、そうしたイベントそのものが目的化されることはないでしょう。
あえて実現性では厳しい町並みの活性化やシャッター街の町おこしなどを可能性として提案してみたのは、「コミュニケーションツールとしてのSL」と「視覚化することで存在につながるSL」の二つの特性に合致するのではないかと考えたからです。
かなり特殊な提案ですが、人々が参加すること、活動の継続が変化を生み出すこと、SLを道具として使い場所として活かそうとする発想の一つとして考えればこういうアイデアもあるのではないかと思います。


SLの中にあるモノは完成してなければならない。(あるいは、アイテムとして一つの完成があるべき、とか)
そういう発想では、完成した時点でそのモノは終わってしまうわけです。
建築とは、建物の形が出来上がった時に完成なのではなく、使われ機能して意味を持ち続けてこそ『完成し続ける』ものではないかと最近よく思います。
RLでは変化し続ける建築というのは物理的制約から困難な場合も多いわけですが、しかし仮想世界の中では違います。
ひとつの意味や目的を維持する過程においてフレキシブルに姿を変える建築の可能性として、RLにおいても変化し続けることで常にそこに存在し続ける町並みとの親和性を考えてみたものです。

まあ、この話自体は理屈倒れの極み(苦笑)という気がしないでもありませんが、SLの中で完結させるのではなく、宣伝効果だけをRLとのつながりとするのでもなく、道具として使う効果の可能性をもっと考えてみてもいいのではないか?と。
SLではウェブ上でサイトを眺めているよりももっと能動的な側面が確かに存在すると思います。
参加者・利用者の意識の変化そのものを使ってRLで何かを生み出す、その道具にSLを使ってみる可能性はないのか。
そんな話ですね。

荒っぽいアイデアの原型でしかありませんが、最後までお読みいただいた人には感謝を。


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Posted by Zusi at 17:45│Comments(1)ススメ文
この記事へのコメント
参加者・利用者の意識の変化そのものを使ってRLで何かを生み出す、その道具にSLを使ってみる可能性はないのか。
そんな話ですね。
Posted by http://www.cpucoolfan.com/ at 2012年08月23日 09:44
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