2008年05月09日
SLでの死とは。
連休だし・・・ということで、SLに関わってから遠ざかっていた読書を少し。
一つは、忙しくても年に一冊は太平洋戦争や近現代史の本を手に取ると決めているので、そちらを。
もう一つはSFで、『敵は海賊・正義の眼』。
相変わらず神林長平さんはいいですね。
「正義の眼」の意味も、読み終えると深いモノを感じます。
しかしラヴはよかったな、ラヴは。(笑)
敵は海賊シリーズに限らず、神林さんのテーマは「言葉」だと思います。
そこに表面的な記号性や意志の力(人だけでなく機械や戦闘機の意思が登場するあたりSF)などを絡めて作品ごとにアプローチを繰り返しているのでしょうが、印象に残っているモノの一つが「コミュニケーションの断絶が死である」という考え。
まあ、死者との対話というのは古典的というか王道で、SFから神話まで古今東西腐るほどあるわけです。
死という壁が一枚間に立ってしまうと、こちら側と向こう側のコミュニケーションは正しく成立しない。
裏を返せば、コミュニケーションが成立しない状況を死と。
ただし、意思疎通ができないからと言って「どちらが死んでいる」かは、実は当事者には決定できない可能性もある。(苦笑)
SLをやっていて感じるのは、とにもかくにも「インしないことには始まらない」という点ですね。
別のネット上やRLで接点がある人たちは違うのでしょうが、SLの中で関係が成立してるならば、SLという触媒が無ければ何も起きなくなってしまう。
悩みや苦しみ、喜びや楽しみも、SLという接点でコミュニケーションすることによって共有し理解したりすることができるわけで、インしなければ無(む)です。
何らかの事情を分かっていれば、待ち続けることで”次”を信じることはできるでしょう。
しかし、何も分からないままの断絶は、どことなく”死”にも通じるものを感じます。
コミュニケーションの断絶、あるいは意図的な拒絶。
生や死に理由が必要かどうかは難しいところです。
さらに、その理由を説明する義務や必要もあるのかどうか。
ただ、理由のはっきりしない死、つまりはコミュニケーションの断絶に直面させられると、人は戸惑うし心配してしまう。
「死を心配する」というのも、かなり言葉遊びなものですけどね。(笑)
どうしたの?と言いたくなるわけですよ、平たく言えば。
しかし、そこにはコミュニケーションの断絶があるので返事はない。
(実は考えすぎで、くだらない些細な理由で一時的な音信不通になる場合もあります/笑)
言うまでもないことですが、SLの死はRLの肉体の消滅を伴う死ではないので、さいわいにも復活があります。
ある日ふと戻ってくるかもしれない。
別アカで楽しくやっているかもしれない。
復活した状態でコミュニケーションがとれていない場合は、さしずめ死後の世界を思うようなものでしょうか。
SLという世界で死んでも、それがRLの可能性までもを失うわけではない所に救いを感じます。
もっとも、だからこそSLの生(コミュニケーション)は軽い、という否定的な裏返しも存在するかもしれませんが・・・。
人は変化に慣れていくものだし、忘れていく生き物なんでしょう。
だから大切にしたいモノや忘れたくないモノの尊さを思う。
生であれ死であれ、そこにある意志は尊重したいものです。
人にはそれぞれの事情や思いがあるから、それを責める気は毛頭ないですしね。
理想どおりにはなかなかいきませんが、コミュニケーションの断絶に直面しても次を信じて待つ、あるいはその人にとっての次をどこかで応援する気持ちまでは捨てずにいたいものですな。
数か月?ぶりに連絡をくださった方がいて、そんなこともつらつら考えて書き散らかしたこの文章。
SLに葬式は無い・・・と以前にインワールドで話題に出たことがありましたが、偲ぶ会、思い出を語る会ぐらいはあっていいかもしれませんね。
誰のというわけではなく、SLの中でこうしたことに直面してきた皆さんにとって、何かしらのご参考までに。
意味不明(思い付きの文章ですから/汗)だったかもしれませんが、最後まで読んでくださってありがとうございました。(礼)
一つは、忙しくても年に一冊は太平洋戦争や近現代史の本を手に取ると決めているので、そちらを。
もう一つはSFで、『敵は海賊・正義の眼』。
相変わらず神林長平さんはいいですね。
「正義の眼」の意味も、読み終えると深いモノを感じます。
しかしラヴはよかったな、ラヴは。(笑)
敵は海賊シリーズに限らず、神林さんのテーマは「言葉」だと思います。
そこに表面的な記号性や意志の力(人だけでなく機械や戦闘機の意思が登場するあたりSF)などを絡めて作品ごとにアプローチを繰り返しているのでしょうが、印象に残っているモノの一つが「コミュニケーションの断絶が死である」という考え。
まあ、死者との対話というのは古典的というか王道で、SFから神話まで古今東西腐るほどあるわけです。
死という壁が一枚間に立ってしまうと、こちら側と向こう側のコミュニケーションは正しく成立しない。
裏を返せば、コミュニケーションが成立しない状況を死と。
ただし、意思疎通ができないからと言って「どちらが死んでいる」かは、実は当事者には決定できない可能性もある。(苦笑)
SLをやっていて感じるのは、とにもかくにも「インしないことには始まらない」という点ですね。
別のネット上やRLで接点がある人たちは違うのでしょうが、SLの中で関係が成立してるならば、SLという触媒が無ければ何も起きなくなってしまう。
悩みや苦しみ、喜びや楽しみも、SLという接点でコミュニケーションすることによって共有し理解したりすることができるわけで、インしなければ無(む)です。
何らかの事情を分かっていれば、待ち続けることで”次”を信じることはできるでしょう。
しかし、何も分からないままの断絶は、どことなく”死”にも通じるものを感じます。
コミュニケーションの断絶、あるいは意図的な拒絶。
生や死に理由が必要かどうかは難しいところです。
さらに、その理由を説明する義務や必要もあるのかどうか。
ただ、理由のはっきりしない死、つまりはコミュニケーションの断絶に直面させられると、人は戸惑うし心配してしまう。
「死を心配する」というのも、かなり言葉遊びなものですけどね。(笑)
どうしたの?と言いたくなるわけですよ、平たく言えば。
しかし、そこにはコミュニケーションの断絶があるので返事はない。
(実は考えすぎで、くだらない些細な理由で一時的な音信不通になる場合もあります/笑)
言うまでもないことですが、SLの死はRLの肉体の消滅を伴う死ではないので、さいわいにも復活があります。
ある日ふと戻ってくるかもしれない。
別アカで楽しくやっているかもしれない。
復活した状態でコミュニケーションがとれていない場合は、さしずめ死後の世界を思うようなものでしょうか。
SLという世界で死んでも、それがRLの可能性までもを失うわけではない所に救いを感じます。
もっとも、だからこそSLの生(コミュニケーション)は軽い、という否定的な裏返しも存在するかもしれませんが・・・。
人は変化に慣れていくものだし、忘れていく生き物なんでしょう。
だから大切にしたいモノや忘れたくないモノの尊さを思う。
生であれ死であれ、そこにある意志は尊重したいものです。
人にはそれぞれの事情や思いがあるから、それを責める気は毛頭ないですしね。
理想どおりにはなかなかいきませんが、コミュニケーションの断絶に直面しても次を信じて待つ、あるいはその人にとっての次をどこかで応援する気持ちまでは捨てずにいたいものですな。
数か月?ぶりに連絡をくださった方がいて、そんなこともつらつら考えて書き散らかしたこの文章。
SLに葬式は無い・・・と以前にインワールドで話題に出たことがありましたが、偲ぶ会、思い出を語る会ぐらいはあっていいかもしれませんね。
誰のというわけではなく、SLの中でこうしたことに直面してきた皆さんにとって、何かしらのご参考までに。
意味不明(思い付きの文章ですから/汗)だったかもしれませんが、最後まで読んでくださってありがとうございました。(礼)
Posted by Zusi at 22:54│Comments(4)
│思った・考えた
この記事へのコメント
ご指摘されたいくつかの点は私に当て嵌まり、耳が痛くなります。
偲ぶ会など催される場合、私も御誘いいただけたら幸いに思います。
偲ぶ会など催される場合、私も御誘いいただけたら幸いに思います。
Posted by soraソファーのE at 2008年05月09日 23:45
☆soraソファーのEさんへ
>耳が痛く
こういう文章にありがちなのですが、一般化して考えや思いを書くと、読んだ方はそれぞれに思い当って「自分のことか??」と感じてしまうんですね。
本文でも少し触れましたが、特定の誰かを責めたり、こうした考えを押し付けるために書こうと思ったわけではないので、ご安心ください。
読んだ方が自分なりの考えを見つけるきっかけになったり、あるいは些細でも変化があればいいなぁ~という思いです。
私自身、書くことで考えを整理してみるという目的もありますし。
偲ぶ会とは言わず、一度はまたお会いしてもいいかも知れませんね。
そして、そうした可能性があることが、どことなく嬉しく思えますよ。(笑)
>耳が痛く
こういう文章にありがちなのですが、一般化して考えや思いを書くと、読んだ方はそれぞれに思い当って「自分のことか??」と感じてしまうんですね。
本文でも少し触れましたが、特定の誰かを責めたり、こうした考えを押し付けるために書こうと思ったわけではないので、ご安心ください。
読んだ方が自分なりの考えを見つけるきっかけになったり、あるいは些細でも変化があればいいなぁ~という思いです。
私自身、書くことで考えを整理してみるという目的もありますし。
偲ぶ会とは言わず、一度はまたお会いしてもいいかも知れませんね。
そして、そうした可能性があることが、どことなく嬉しく思えますよ。(笑)
Posted by Zusi
at 2008年05月10日 18:37

耳痛いのは、私もですね。
こうやって書き込めるまで回復ですが・・・
別赤で1ヶ月に1度ぐらい入ってるけど
本当のネトゲのがおもしろい
自分のSIMでもあれば別だろうけど
まあ
別ブログにいろいろかいてるけどね^^
気が向いたらメッセします。
偲ばれるのはこまるからwww
こうやって書き込めるまで回復ですが・・・
別赤で1ヶ月に1度ぐらい入ってるけど
本当のネトゲのがおもしろい
自分のSIMでもあれば別だろうけど
まあ
別ブログにいろいろかいてるけどね^^
気が向いたらメッセします。
偲ばれるのはこまるからwww
Posted by BlueのT at 2008年08月19日 18:26
☆BlueのTさんへ
>偲ばれるのはこまるからwww
あはは。
でも、書き込みは嬉しかったです。
ありがとうございました。
お元気で、そしてまたいつか。(笑)
>偲ばれるのはこまるからwww
あはは。
でも、書き込みは嬉しかったです。
ありがとうございました。
お元気で、そしてまたいつか。(笑)
Posted by Zusi
at 2008年08月19日 23:06
