2008年03月09日
日常の中で。
記念日やイベントとか、実は苦手なんですよね。
特別なことをしなければならないという強迫観念みたいなもの、それに従うことが正しいというような暗黙の価値観、そこに息苦しさを覚えてしまうのかも知れません。
逆に、特別な機会があるからこそ何かをしようと思って出来る、という考えはよく理解できます。
記念日やイベントだから嫌いということではなく、そこに何を感じるのかという微妙な部分で受け入れることの是非が決まるというか。
空気に染められて主体性を見失う自分の姿がどうにも苦手だ・・・と書くと、格好つけすぎですけども。(苦笑)
特別な時に特別なことをしようとするのも、それを”きっかけ”として自分で選ぶことならばいいと思います。
しかし、じゃあ日常の中にそうした価値はないのだろうか?と考えてみると、「特別な時を特別扱いするあまりに日常の価値を見失う」ということへの疑問は避けられません。
「特別な日」と「日常」という二分法がまず何か??という話でもあります。
昔、サラダが美味しかったから記念日だと読んだ詩(笑)もありましたが、何に価値を見出すのかという基準がそこにあり、価値を見つけた時や物を特別なものと感じる。
つまり、特別と日常がまずあるのではなく、自分の考えや感じ方があってその区別を付けるのが「あるべき姿」だろうと思うわけです。
考えや感じ方が変われば日常が特別になり、特別が日常にもなる。
その価値を決めるのはカレンダーや流行ではなく自分の考えや感じ方であるという、自分が決めた特別なことがあって、だから記念日やイベントがあるというのはとても素晴らしいことに思えます。
そしてもちろん、世間的に特別なことではないけれど自分の中では大切にしていることを日常の中で持ち、それを実践できていればなお素晴らしい。
理想として大切にしたいのは、「こんにちわ」と「ありがとう」なんですよね。
日常の中で当たり前のように使う言葉ですが、当たり前だからこそ形式的に使いがちだし、そこに意味や気持ちを込めることが意外と難しかったりもする。
相手に伝えたい気持ちを持って使わなければちゃんと届かない言葉。
それが挨拶と感謝ではないかと思います。
言葉と、それを使うタイミングや状況をちゃんと大切にしなければならない。
当たり前のことを当たり前のように言葉で相手に伝えるという、その難しさを大切に出来れば立派なものだと思うんですよ。
まっ、理想としての話なので、私に実践できているということではないのですが。(苦笑)
お祭りやイベントが多く、ワイワイやるのが楽しいSLという傾向はあるような気がします。
それはそれで楽しいですし、重さにもめげずに楽しもう・楽しませようという人たちの気持ちにも好感が持てます。
季節やイベントに合わせたアイテムも、うちで用意したりしていますし。(笑)
特別に振り回されるのではなく、特別な時に何もしないことを引け目に感じることもなく、自分の決めた価値の”特別”を大切にしたい。
そこに記念日やイベントが重なるのであれば、忌避する理由はないでしょう。
決められた特別に従うだけでない、自分の価値観をSLでもRLでも大切に出来る、そんな姿勢でありたいものです。
まあ~イベントが苦手な言い訳を屁理屈で武装しているような気が、自分でしなくもないのが困ったものですな。
楽しいし面白いんだけど同調機能の付いたアイテムにはどこか迷うところがあるし、『一体感の押し付けがましさ』がとにかく苦手だという、身勝手で天の邪鬼な人間の独り言でもあります。
話半分にどうぞ。
特別なことをしなければならないという強迫観念みたいなもの、それに従うことが正しいというような暗黙の価値観、そこに息苦しさを覚えてしまうのかも知れません。
逆に、特別な機会があるからこそ何かをしようと思って出来る、という考えはよく理解できます。
記念日やイベントだから嫌いということではなく、そこに何を感じるのかという微妙な部分で受け入れることの是非が決まるというか。
空気に染められて主体性を見失う自分の姿がどうにも苦手だ・・・と書くと、格好つけすぎですけども。(苦笑)
特別な時に特別なことをしようとするのも、それを”きっかけ”として自分で選ぶことならばいいと思います。
しかし、じゃあ日常の中にそうした価値はないのだろうか?と考えてみると、「特別な時を特別扱いするあまりに日常の価値を見失う」ということへの疑問は避けられません。
「特別な日」と「日常」という二分法がまず何か??という話でもあります。
昔、サラダが美味しかったから記念日だと読んだ詩(笑)もありましたが、何に価値を見出すのかという基準がそこにあり、価値を見つけた時や物を特別なものと感じる。
つまり、特別と日常がまずあるのではなく、自分の考えや感じ方があってその区別を付けるのが「あるべき姿」だろうと思うわけです。
考えや感じ方が変われば日常が特別になり、特別が日常にもなる。
その価値を決めるのはカレンダーや流行ではなく自分の考えや感じ方であるという、自分が決めた特別なことがあって、だから記念日やイベントがあるというのはとても素晴らしいことに思えます。
そしてもちろん、世間的に特別なことではないけれど自分の中では大切にしていることを日常の中で持ち、それを実践できていればなお素晴らしい。
理想として大切にしたいのは、「こんにちわ」と「ありがとう」なんですよね。
日常の中で当たり前のように使う言葉ですが、当たり前だからこそ形式的に使いがちだし、そこに意味や気持ちを込めることが意外と難しかったりもする。
相手に伝えたい気持ちを持って使わなければちゃんと届かない言葉。
それが挨拶と感謝ではないかと思います。
言葉と、それを使うタイミングや状況をちゃんと大切にしなければならない。
当たり前のことを当たり前のように言葉で相手に伝えるという、その難しさを大切に出来れば立派なものだと思うんですよ。
まっ、理想としての話なので、私に実践できているということではないのですが。(苦笑)
お祭りやイベントが多く、ワイワイやるのが楽しいSLという傾向はあるような気がします。
それはそれで楽しいですし、重さにもめげずに楽しもう・楽しませようという人たちの気持ちにも好感が持てます。
季節やイベントに合わせたアイテムも、うちで用意したりしていますし。(笑)
特別に振り回されるのではなく、特別な時に何もしないことを引け目に感じることもなく、自分の決めた価値の”特別”を大切にしたい。
そこに記念日やイベントが重なるのであれば、忌避する理由はないでしょう。
決められた特別に従うだけでない、自分の価値観をSLでもRLでも大切に出来る、そんな姿勢でありたいものです。
まあ~イベントが苦手な言い訳を屁理屈で武装しているような気が、自分でしなくもないのが困ったものですな。
楽しいし面白いんだけど同調機能の付いたアイテムにはどこか迷うところがあるし、『一体感の押し付けがましさ』がとにかく苦手だという、身勝手で天の邪鬼な人間の独り言でもあります。
話半分にどうぞ。