ソラマメブログ

  

Posted by at

2008年09月08日

縁。

SLはコミュニケーションだ・・・と言ってしまうと、チャットが上手くなければいけないように聞こえてしまうでしょうか。
パフォーマンスや創作による意志伝達や自己表現もコミュニケーションの手段に含めれば、それほど窮屈なものではありません。
例えば、物作りなどはされていないものの、カフェやバーなどを回って「常連さん」を楽しむのが上手い知り合いの方がいます。
買い物やファンションを楽しみ続ける自己表現なども、私には到底真似ができないわけです。
そこに個性があれば、どんなスタイルであれ確立された個としてSLの中では存在でき、そうした存在は存在同士をつなげる縁を生むものでしょう。

ずいぶん久しぶりで、連絡を取っていなかった方とお会いする機会がありました。
インワールドでは疎遠であっても、ブログなどを通じて存在を知っていればどこかでつながっている感じがするものです。
しかし、それはそれとして、やはりインワールドで直接会えると何となく嬉しい。
普段いつも会っている人と会う楽しさとは、なにかが違う。
あぁちゃんとつながっている部分が少しでもあるんだ・・・という嬉しさと、連絡をしてくださるという手間への感謝かな。
もっと色々と言葉に置き換えることを試してもいいのですが、何を話すわけでもなく近況報告だけの話題であったとしても、そこに何かの価値を実感できるということはありがたいことです。

他者が存在しなければ自分を認識する必要が無くなり、結果的に自己の存在も失う。
SLでの存在は、しかしアカウントの解約やインしなくなるなどの事情により、それほど強固なものではありません。
その裏を返すと、自己の存在もまた常に頼りない感じをともなう・・・と言えるでしょうか。
仲間意識に依存してしまい、その仲間内の空気や連帯のために自分を見失ってしまうような本末転倒は警戒するべきだと思いますが、あなたがいて私がいるという「人と人の縁を感じること」はとても大切な気がします。
自分が自分であるためにも、大切。

コミュニケーションをとるためには、自分と他者が必要でしょう。
内なる自分との対話や第三者的な目線での自己批評などとは別に、あるいはそういうことを可能にさせるための「自分」という認識を確定するためにも、人は他者を必要とするのかもしれません。
SLも、一時期ピークに達した日本人口が減少傾向となり、世界的にも決して拡大傾向にあるとは言えない中。
しかし、それでも他者との接点となる世界としては、まだまだ魅力的なものがあると思います。
ソラマメなどを見ていると、一時期去っていた人がまた戻ってくるということが、わずかながらもあるようです。
世界があり人がいれば、そこには縁が生まれる。
縁があれば、いったん世界を去ったとしても、戻ってくればまた出会えることもある。
同じ世界に存在することの意味(コミュニケーションをとる者同士?)とは、つまりそういうことでしょうから。

SLで別れ際の挨拶によく使う言葉は、本当なんだろうと思います。
『ではまた。』
今はいない人もこれから会う人も、縁があればよろしく。(笑)






と、ここでいう世界とはSLのことですが、本質的にはRLでの世界という意味でもあるべきなんでしょうね。
仮想世界は、それを仮想するための現実世界がなくては存在しないわけで。
つまり、仮想世界で生まれた縁も、その同じ意味で「RLに存在している縁」であるということ・・・か。
良くも悪くも。  


Posted by Zusi at 23:06Comments(0)思った・考えた