扱いと編集。

Zusi

2007年09月22日 20:00


ブログ記事などの、言葉の扱いと編集について覚書に。

本来、言葉は訂正や謝罪はできても「無かったことにはできない」・・・という考えを尊重したいと、私は考えています。
しかし、商品などの情報をブログで扱うにあたっては、置かせてもらっている店舗や色々な間違いなどの情報について、古い情報を置いたまま追加の情報を重ねることで対応するには限界があるような気がします。
検索ワードなどで個別の記事に飛んできた人が、トップページや項目別の最新情報を必ず見てくれるとは限りません。
また、古い情報を修正や訂正しても、最新記事として扱われなければ周知されないこともあるでしょう。
雑記や日記などの項目における細かな情報まで過去にさかのぼってチェックし更新することは事実上不可能ですが、少なくとも商品として取り扱っている情報を記載した記事については、どうしても手を入れる必要がありそうだと結論を出しました。

もっとも理想的なのは、過去のトラブルや不手際も履歴として残しつつ、常に最新の情報だけが分かりやすく表示される状態でしょうか。
過去の不都合な情報を一切隠してしまうような形は、あまり望ましくないと思っています。
これは、自分にとっても、過去の失敗を無かったことにしてしまって教訓としても活かせないことに通じる可能性がある、と考えるからです。
言葉そのものと同様、起きてしまったことは無かったことにはできないわけで、ありとあらゆることを晒す必要性は議論の余地があると思いますが、何かが起きた時にどう対応・対処するかを公開することは無駄になるものでもないでしょう。
(こうして書くことで整理し考え、再検討することになる場合もありますし)

つまり、過去の記事やその情報の取り扱いについては、その影響や意味をよくよく考えた上で選択的に扱ってゆくしかないのかなぁ、という結論に至ったということですね。
書くと当たり前のようにも見えますが、原則的に一度書いたものは誤字脱字や事実誤認以外は修正をしない主義だった私にとって、これは小さくない変更だと言えます。
過去の記事に手を入れることの抵抗感は、少なくとも私自身の心理的な部分には存在しますから・・・。

だいたい、情報というのは修正すればするほど扱いが難しくなるものだと思っています。
些細な訂正のつもりでも最初の趣旨や文脈から外れてしまい、全体の意味が崩壊するようなこともあるでしょう。
三か所の修正のうち一か所だけを忘れて、なおさら混乱するようなこともあります。
自分の考えでは簡単な修正のつもりでも、実際の影響として他者に与えるものが大きい修正というのも、あるかもしれません。
一番望ましいのは、修正の必要を最小限に抑えるために事前のチェックと気配り・注意に手を抜かないことなのですが。(苦笑)
まぁ、それが分かっていてもミスをするのが人間ですし、時間の変化でどうしても対応せざるをえない修正なども起きてしまいます。
特にSLの中で商品として物を扱っていれば、商品の情報をSL外部で扱うことは色々なメリットが考えられますが、常にリアルタイムで変化の激しいSLの内部と外部とでミスやズレが大きくなることは、避けようもないはずです。(=だから修正しなければならない)
修正することは難しいと知りつつも、難しいは難しいなりに、いい方法を見つけてゆくしかないのでしょう。

過去の情報に手を入れることにするからと言って、いつでも修正できるさぁ~という軽薄な気分で書くことのないよう、そこは気を付けていきたいものです。
書き捨ては書き捨てとしてあってもいいわけですが、きちんと区別をして自覚したい。
というかまぁ、すべきだなと。


どんなにこうして書いたとしても、問題は実行できるかどうかなんですねどねぇ。(笑)

   
(さっそくソフトクリームを置かせてもらっている店舗を追加しましたよ)
姿勢(方針)